国語の授業をしていて思うこと
「小説」って、本来は読者がそれを読んで何を感じ取るとるかは「自由」なはずです。
学校の定期テスト対策として国語の教科書の「解釈」を生徒にレクチャーしながら、何か「大人が子供にそう答えてほしいこと」を押し付けている感じがして、いつも少なからずためらいを感じます。
フランスの近現代哲学が、ピュアに「真実」を求めて脱構築 (批判) に脱構築 (批判) を重ねた挙句、何も語れなくなってしまったことを考えると、まあ、「相手の気持ちを推し量る」トレーニングをしているのだくらいに割り切ればいいのかもしれませんが。。。
塾ひろば[ 2021-05-14]